【展覧会】「特別展 縄文ー1万年の美の鼓動」へ行った話
こんにちは、鯉巻です。
今回は、2018年夏に行った「特別展 縄文ー1万年の美の鼓動」の思い出話をしようと思います。
恥ずかしながら、2017年くらいに突然熱を出し始めたにわかファンなので、知識は相当浅いです。
ですが。縄文の造形美に対するリスペクトは半端ないと自負しております。
では、浅はかながら当時を思い出しつつ書き(描き)なぐりたいと思います。
【目次】 |
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そもそも縄文時代とは?
今から約1万3000年前、紀元前約1万1000年から紀元前約400年までの約1万年間続いた時代を縄文時代といいます。
私が子供の頃は、「縄文人とは原始人の延長みたいなもので、小規模なコミュニティーで移動しながら狩猟生活をしていた」みたいな教えられ方をされましたが、子供ながらに信じられませんでした。
「こんなしっかりしたお家(=竪穴式住居)を使い捨てにしてたの?!」みたいな。
「マンモス追いかけてる人たちが(←完全に旧石器時代と混ざっている)こんな人形(=土偶)や壺(=縄文土器)を作ったの?!」みたいな。
今では、定住性の高い生活をおくっていたという説が有力みたいですし、手漕ぎ船で海を渡り他地域の集落との交易なんかも盛んだったことが分かってきてますし、ようやく納得です。
そりゃそうだ、あんな芸術レベル高い人たちが文明レベル低いわけないもの。生きることに余裕がなければ、アートは生まれない。
文字こそ持たなかったかもしれないけれども、縄文人は1万年の間に豊かで成熟した文明を築き上げていたに違いない!…と、私は思うのであります。
ところで、1万年という長さ、イマイチ感覚がつかめませんよね。
実は私、この間、新しい知識を手に入れまして。
北極星についてなんですけれども。
北極星って、「北極星」という星があるわけじゃないんですよ!…あれ、ご存知でしたか?
私、知らなかったんですよ。北極星は北極星という名前が付けられている一つの星のことだと思ってたんですよ。
ところが、韓国ドラマ好きな母が「北極星はポラリスだとドラマで言っていた」と言い出しまして。
あれ?北極星なんだから pole star なんじゃないの?ポラリスって何語?…と思って調べ出してびっくり。
そもそも北極星とは、天の北極にある星(一番極北に近い星…かな)で、数千年ごとに他の星に移り変わるんです。移り変わる理由は、歳差運動とか各恒星の固有運動とか…難しい話です(苦笑)
とにかく!今の北極星はこぐま座のポラリスに違いありませんが、今後、西暦3100年ごろ(今から約1000年後)から今度はケフェウス座γ星が北極星になるという。
そして、今の北極星の前に北極星と呼ばれていたのがこぐま座β星で、それが紀元前1100年前後…あら、縄文時代じゃないですか。
こぐま座β星の前がりゅう座α星で紀元前2790年前後。そのさらに前が、有名なベガ(こと座α星)で紀元前11500年前後…。
そんなことを知って私は「縄文時代の1万年て、なんて長いんだろう…!!」と感動したわけですが、どうでしょう…わかりにくかったでしょうか;;
縄文時代生まれの国宝は6件
約1万年の長期にわたる縄文時代。
そんな縄文時代は、草創期(前11000年~前7000年)・早期(前7000年~前4000年)・前期(前4000年~前3000年)・中期(前3000年~前2000年)・後期(前2000年~前1000年)・晩期(前1000年~前400年)の6つの時代区分に分けられます。
縄文時代生まれの国宝は6件(6点じゃないんですよ、6グループってことらしいです)しかないのですが、その6件すべてが中期・後期のものです。
特に縄文時代中期は、縄文時代全体のうち何度か訪れる社会的安定期の一つで、その文化も成熟を迎えたと言え、あの傑作が生まれたのもこの時代。
そう、あれです。縄文文化といえば、教科書や資料集に載っていたあれ!
火焔型土器
写真は載せられなさそうだから、ここから先は私の愛を込めた模写たちが続きます(笑)
「なぜこうなった」と突っ込みを入れたくなる機能性からは程遠いデザイン。
「縄文時代の名は、この時代に見つかった土器に縄目模様が施されていたので『縄文時代』と呼ばれるようになりました」と習ったのに、どこが縄目模様なんだと思った子供時代の私。
実際のところ、この時代は粘土盛り盛り造形が流行っていた時代らしく、いわゆる縄目模様はこちらには見受けられません。
火焔型土器は他にもたくさんあります。兄弟がいっぱいいるんです。
王冠型土器という、親戚もたくさんいます。
国宝指定の火焔型土器・王冠型土器いずれも、新潟県十日町市出土です。
縄文時代中期(前3000年~前2000年)に存在したアーティストたち、その作品が「国宝 火焔型土器」です。
土偶 縄文のビーナス
国宝のうち土器は1件のみ、あとの5件は土偶です。
その5件のうちの一つ、全6件の国宝の中で一番最初に国宝に指定されたのが彼女、縄文のビーナスです。
よく土偶は妊婦を象っていると言われますが、このぽってりと膨らんだお腹、安産間違いなしな臀部、デフォルメされていても間違いなく妊婦さんです。豊穣・子孫繁栄の願いを込められて作られています。
よくみると、お顔がハート型なんですよね。…生え際かしら?M字だったのかしら?
頭は…ナ〇シカの村の服装の帽子を思い出します。
耳には小さな穴が開いています。縄文人はとてもお洒落さんで、土製の耳飾り(でっかいピアスみたいなの)をつけていたようなので、それを表しているのでしょうか。
それにしてもこの完璧なバランス。縄文のアーティストたちのキャラデザイン力に憧れます。
縄文時代中期(前3000年~前2000年)、現在の長野県茅野市辺りにいたデザイナーの作品です。
土偶 縄文の女神
ビーナスだとか女神だとか…ややこしいですがそういう愛称をつけられているのでしょうがない。
お腹が出てると言えば出てるしお尻が大きいと言えば大きいのですが、縄文のビーナスとはかなり違ってこのシュッとした感じ!
胴部から脚部の模様は、同時代の大木式土器という土器の模様と共通していて、この時代の主な表現方法だったみたいです。
でも…何だろう。エジプトの壁画の人っぽく見えるのは私だけですか?
お顔はかなり大胆にデフォルメされてて…あれですね。プラナリアだ!
どこか宇宙人的な、どこか未来からの来訪者的な雰囲気も漂う、ミステリアス美人の縄文の女神。
縄文時代中期(前3000年~前2000年)、現在の山形県舟形町の巨匠の作品です。
土偶 仮面の女神
スタイリッシュな仮面に胴部の文様、チャームポイントの出べそ、陰部の表現が丁寧にされていて、乳は無くとも女性だとわかります(コラ)
お墓のような場所から出土した彼女は、集落内のすべての死者に対する鎮魂と再生を祈るために埋葬されたと考えられているようです。
他の土偶たちを見てもわかる通り、なんせ縄文人はデフォルメの天才ですから、このお顔もデフォルメなのか、それとも今回は本当に仮面をつけている女性を表しているのか、それはわかりません。いや、専門家は仮面をつけていると言ってるのですが(笑)
ユニークでありながら威厳のようなものを感じるこのデザインは、傑作であることに間違いないでしょう。
縄文時代後期(前2000年~前1000年)、現在の長野県茅野市の奇才の作品です。
土偶 合掌土偶
愛称に「ビーナス」とか「女神」とか付いていない理由がなんとなくわかります(コラ)。
よく見れば乳とか、女性なんだろうなぁという表現はあるのですが、うん…やっぱり。お顔がね。泥棒髭のおじさんに見えてしまう(笑)
ちなみに、土偶は女性や精霊を象っているとされてますが、男性を象っているのではないかというものも僅かながら見つかっているようですよ。
合掌土偶は「ポーズ土偶」と呼ばれるグループのお一人ですが、手を合わせている姿なのはこの方しかまだ見つかってないようです。
縄文人のお祈りポーズだったのではないかと、祈る縄文人の姿そのものを象っているのではないかと言われているようです。
ボディにはいわゆる縄文手法で模様が施されていて、元々は赤い彩色がされていたようです。
顔料による彩色はもちろん、縄文時代にはもう既に黒漆や赤漆を使っていたんですよ、漆塗りの痕跡がある土器も展示されてました!
どこでどうやって漆を知ったんだろう…普通に生活していてとある木の樹液が「使える!」と思う瞬間が来るものなのだろうか…。
合掌土偶は縄文時代後期(前2000年~前1000年)、青森県八戸市の職人の作品です。
土偶 中空土偶
愛称は「茅空」。函館市の南茅部という地区から出土したことと、全身が現存する最大の中空土偶(中が空洞ということ)ということで、茅空さんと呼ばれています。
こちらも…髷を結ったお侍さんとかお相撲さんみたいなお顔に見えるのは私だけですか(笑)
顎にも丸い模様が…細いストローみたいなのを粘土に押し付けて作ったみたいな模様がたくさんあるんですけど、それがお髭に見える…(笑)
同じ模様がおへそ周りにもあって、少しその辺りの色が黒ずんでいることもあって(絵では表現してません;;)何か…モジャモジャっとしている…モジャ毛みたいな(笑)
そして、両脚の間の謎の穴(笑)
足の下の方にある、左右の足を連結している部分に穴が開いてるんですよ。貫通はしてないみたいなんですけども。何なんでしょうね、これ。謎。
ま、乳があるし、私には良く見えなかったんですけれども陰部は女性のものらしいので、茅空さんは間違いなくレディらしいです(笑)
なんかすみません、(笑)が多い文章で…でも、正直申し上げまして、茅空さんは5人の中で私のツボに一番はまるキャラをしておりまして…。
何だろう、庶民的?親近感が湧くというか…癒し系のお顔立ちですよね。
赤漆や黒漆の痕跡もあり、きっと見事な仕事だったんだろうなぁと想像します。
縄文時代後期(前2000年~前1000年)、北海道函館市のゆるキャラです(違)
以上、国宝6件でした
ところで、お気づきでしょうか?
6件の国宝たちの出土地域、実は全て東日本(東北・北海道含む)なんです。
というか、今回の展示品全体を見ても、東日本出土の品が圧倒的!
縄文人はもう既に日本列島全体に広がって暮らしていたようで、もちろん西日本(沖縄も含めて)にも遺跡があり、今回の展示品にもいくつか西日本出土のものがあったのですが、ほとんどが長野~関東・北関東、そして東北・北海道南部出土のものだったんですよね。
縄文時代の後に来る弥生時代とか卑弥呼の時代とか、その後しばらく江戸時代が来るまで文化の中心は西の方になりますが、縄文時代賑わっていたのは東の方だったのでしょうか…。
と…東北が!今はちょっと寂しい我が東北が、縄文文化の中心とか…!(期待)
ウフフ…というのも、国宝ではないけれどもとても有名な、「人気ナンバー1」なあの方が東北生まれなのですよね…東北のアーティストたちが生み出したあのキャラ、この後紹介します!
土偶の変遷
時代によって土偶の姿がどう変化してきたのか、サクッとまとめてみます。
今のところ、土偶の登場は草創期後半とされているようで、土器の出現からは遅れていたと思われてます。
ちなみに人型を模した造形は旧石器時代にもあり、土偶出現以前より人形は作られていたわけですが、旧石器時代のそれと土偶とのつながりは今のところ分からないそうです。
では、縄文時代草創期(前11000年~前7000年)の土偶です。
こんなん。
胴体のみで、頭部、下半身、両腕はありません。
こちらは見事なボインで、女性の体だとよくわかる造形ですが、他には逆三角形の薄い板状のものとか、その板状のものに乳がついているとか、基本的に胴部のみの表現です。
…胸が大切だったのか…?…おっぱい星人?(笑)
縄文時代中期(前3000年~前2000年)になると、頭が付きます。
手足はまだありませんが、大分人形らしくなってきました。
それにしても、ファンキーなお顔立ちです(笑)
こちらも縄文時代中期(前3000年~前2000年)のものです。
私のお気に入りのデザインの一つです(笑)
脚がないのか、長いスカートのような服なのか、でも出べそはしっかり描かれているという(笑)
釣り目は土偶のお顔の表現でよくあるものですが、全体的なフォルムといい特に手の表現といい、何故…こんなに…宇宙人ぽいの??
藤子不二雄先生のSF漫画に出てくる宇宙人にいそう(笑)
キャラデザが立ってきました、さすがです、縄文人の皆さん!
縄文時代後期(前2000年~前1000年)になると、現代のアーティストも心揺さぶられるアートな土偶が出てきました。
一つ前で紹介したポーズ土偶もなかなかの存在感ですが、そのさらに斜め上をいくデフォルメ。
ハート形のお顔は他の土偶でも見られるんですが、ハートそのままのお顔は斬新です。
口はなく、やたら大きいお鼻と、記号化されたようなボディに群馬県の鬼才の迫力を感じます。
ハート形土偶のアート感が半端ないので、急に庶民的な感じになりますが、縄文時代後期(前2000年~前1000年)の超人気デザインです。
三角の山形の頭部とキュッと手を反らせたポーズが可愛いこの山形土偶は、東北地方南部から関東地方を中心にたくさん出土しているようで、とても人気のデザインだったんだろうなと。
可愛いもの。誰でも作れそうだもの(笑)ハート形土偶はトップアーティストの作品だけれども、山形土偶ならみんながついていける(笑)
縄文時代後期(前2000年~前1000年)、山形土偶より後の時代に関東辺りで流行ったのがこのみみずく土偶です。
鳥のみみずくに似ているというけれども…う~ん、目が大きいところかなぁ。
私は親しみを込めて、「サザエさん」と呼んでいます(笑)
髪の結っている状態の表現が丁寧ですよね。当時の縄文人たちはこんな髪形をしてたんでしょかね、おしゃれ。サザエさん!
さぁ、次です。私のアイドル。先にも申し上げた「縄文時代人気ナンバー1」で、たぶん日本人なら誰しも見覚えがあるだろう、土偶といえばこの人!というお方。
特別扱いで、国宝さんたち並みに大きく描いたった(笑)
やっぱりこの方でしょう!超有名だとしても、いつもならみんなが好きだと言うと何となくアンチに回りたくなる天邪鬼な私でもどうしても惹かれる、遮光器土偶さん!
さんざん「どうしてこうなる」という良い意味で期待を裏切り続けてきてくれた縄文人の造形ですが、このお顔もまた、「どうしてこうなる」。
名付け親が、北欧の人々が雪の反射から目を守る為に着けていたスノーゴーグルを見て、「あ、これじゃね?!」と思って「遮光器」土偶と名付けたらしいです。
でも、今の説では別にゴーグルは付けていなくてただのデフォルメ表現だということになっていると…「ただの」のレベルではないですけどね(笑)
日本の漫画キャラの目が大きいのは、ここから始まったのか?!(笑)
お顔のユニークさについ目が行きがちですが、ボディ全体に施された模様の美しさも見逃しがたいです。
顔の中央の謎の穴。鼻なのかな…漫画のキャラの鼻を点で表現するのが、私は子供ながらに不思議だったんですが(だって、鼻の穴は2つだし、鼻全体は出っ張っているものだし…「く」の字ならまだしも、点て何だと思ってました)、こ…これが元祖だったのか?!(笑)
この片足を失った遮光器土偶は青森県の達人の作品ですが、もちろん他にも遮光器土偶はありまして、そのほとんどが東北地方の出土なんです。
つまり、遮光器土偶は、東北縄文アーティストたちによって生み出された傑作デザイン!東北人として過去の東北人を尊敬いたします(笑)
このデザインに感銘を受けたのか、遮光器土偶をオマージュした土偶が北海道から関東まで広い地域で出土しています。
遮光器土偶は縄文時代晩期(前1000年~前400年)の出土。もう、縄文時代も終盤です。
草創期から並べてみると、初めは胴部のみで女性の体を比較的忠実に再現していましたが、時代が進むにつれてビックリするようなデザインに変わっていきました。
西洋とは大違い。西洋はリアリティの先の理想の人体の表現だったけれども、縄文人は「何故こうなる」と思ってしまう造形に突っ走って…でも、その中には何とも言えぬ均衡があったり美しさがあったりと、まさにアートでした。
最後に、縄文時代晩期(前1000年~前400年)の更なる逸品を紹介。
遮光器土偶でデザインの粋を極めた後、土偶はどんな姿に進化したのか…?!
…まさかの「頭足人」…(笑)
あれだけ初期から重要だった胴体を遂に捨てたか…予想外です(笑)
私のお気に入り縄文土器
ここまで土偶を紹介してきて大分長くなりましたが、最後に土器を、私がデザイン的に惹かれたのを数点描き殴ってみたので紹介したいと思います。
あっさりと。おまけ程度ですが。
一応断りを入れますが、私は土器が好きです。土偶よりむしろ土器です。遮光器土偶は別格ですが(笑)
ですが、土器を前述の土偶たちのように紹介しようにも…あまり突っ込みどころが無くて(苦笑)
それは、「縄文最古の美土器」の姿を見ていただければわかっていただけると思います。
初っ端からこの完成度…!絵が拙くて伝わらないか!(残念)
縄文時代草創期(前11000年~前7000年)に作られたこの土器ですが、まぁ、薄い。壁がとても薄い。そして、細かい線文が整然と非常に丁寧に装飾されていて、とてもスタイリッシュです。
もちろんこれは決して初めの土器というわけではなくて、青森県内には旧石器時代終末期の遺跡も多く、そこからはAMS法(放射性炭素年代測定)によって1万6千年前と測定された無文土器(世界最古級!)も見つかっていたりで、つまり、「縄文土器に至るまでの間も数千年あって土器は進化していた」ということなんです。
生活に必要なものだっただろうから、たくさんの人が工夫を凝らして作って発展してきたのでしょうけど、それにしても縄文時代の初期でこのレベルですからね…すごいです。
約7500年前の火山灰の地層から発見された、縄文時代早期(前7000年~前4000年)の土器です。
まだ、おとなしいですね(笑)
縄文文化全体でみると、壺型土器は縄文時代後期から晩期にかけて多く見られるようになるらしいのですが、南九州の縄文人たちは他地域に先駆けてこの壺型を編み出しました。
土偶もそうでしたが、土器はなおさら地域毎に個性があるように感じます。
この後、土器はさらに進化し、私たちが習った「縄目模様の縄文土器」たちが出てきます。
縄文時代前期(前4000年~前3000年)は縄文時代を通して見ても最もたくさんの種類の縄文(縄目模様)が生み出された時代です。
千葉県松戸市出土の「関山式土器」たちは、全面に縄文を施されたこの時代代表の土器です。
さらに時代が進んで縄文時代中期(前3000年~前2000年)となると、先に国宝として紹介した「火焔型土器」「王冠型土器」が登場します。
前にも述べた通り、この時代の流行は粘土盛り盛り造形。火焔型土器・王冠型土器以外の土器たちも、盛り盛りしています(笑)
盛り盛りの具合に差はあれど、どれもデコラティブな土器たちです。やっぱり、私はここら辺が一番好き。
すごく細かくて正確で豪華な装飾です。
西洋の古代建築の装飾みたいです。
もしくは、デコレーションケーキ(笑)
縄文人の本気が感じられます。
もう一つ、同時代の土器です。
これもアートでしょう!
これお気に入りのデザインなんですよねぇ…丸と渦巻きのダイナミックな中にもポップで可愛い要素が感じられるデザイン。
ちなみに、本展覧会では同時代の他国(黄河流域の黄土高原・インダス川周辺地域・メソポタミア・南レヴァント・エジプト・キプロス・アナトリア・ヨーロッパ)の土器も比較展示されていたのですが、縄文土器は特に独特だとよくわかりました。
他の国は、シンプルなデザインに絵付けなどで装飾しているものがほとんどで、粘土盛り盛りは縄文人オリジナルです。
模様も、他国は植物や動物を描くことが多いのですが、縄文土器は幾何学的な模様が代表。
ほんと、面白い人たちですね、縄文人。
そんな縄文土器も、後期・晩期(前2000年~前400年)には盛り盛りも廃れ、現代の食器にも似る形状と描線によって描かれる模様に変わっていきます。
その中の一つ、急須みたいな形をした「注口土器」。縄文土器の重要文化財指定第1号と第2号がこの注口土器です。
そこら辺のお店で売っていそうな現代的でおしゃれな造形をした第1号(茨城県稲敷市出土)の模様はさらに洗練された幾何学模様で、色は黒っぽく、南部鉄器を思わせます。
第2号(青森県十和田市出土)は縄文もしっかりとした少し武骨な風貌で、それでも胴部の曲線はなめらかで美しいです。
さすが、重要文化財指定。力尽きて絵は用意してませんが(←)、これもお気に入りの造形です。
まとめ
今回私が行った「特別展 縄文ー1万年の美の鼓動」はとてもボリュームがある見ごたえのある展覧会で、紹介した国宝・土偶・土器の他にも、縄文人の生活や文化・思想が垣間見える生活の品々が展示されてました。
身を飾る装身具や木の皮を編んで作ったポシェットなどは、見ていると当時の人たちの暮らしが目に浮かぶようでした。
あと、個人的には「石棒」ですね。女性を模した土偶があるのならば…という、ね。
なかなか絵にしてみてもブログに載せてよいものかどうか(いや、学術的な面からみれば何も臆することはないのでしょうけれども)迷うところがありましたので今回は描いてませんが。
気になりましたら調べてみてください、「石棒」。子孫繁栄や豊穣を願う造形というのは色々な文化文明にみられるものですが、やはり縄文人にとっても重要な問題だったんでしょうね。
長々と書いてきましたが、なかなか満足しません(笑)
このままでは一向に終わらないので、ここらへんで「よし」として〆たいと思います。
ここまでお付き合い、ありがとうございました。
…この「特別展 縄文ー1万年の美の鼓動」、フランスに行ったらしいですよ!
アバンギャルドな縄文芸術がもっと世界に広まりますように!
今回の「特別展 縄文ー1万年の美の鼓動」の図録なんですが、調べてみたところ「在庫なし」でした…ご紹介できなくて残念です;;
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